ネオプラトニズム。
WIKIPEDIAより。
ネオプラトニズム (Neoplatonism) は、プラトンのイデア論を継承し、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉える思想で、紀元3世紀頃にプロティノスによって展開され、ルネサンス期にイタリアで再び盛んになった。「新プラトン主義」と訳されることも多い。
この「ネオプラトニズム」という言葉は、19世紀の シュライアーマッハー以降、文献学により、プラトン自身のオリジナルの教説と後世の追随者の思想とが区別して捉えられるようになって初めて生まれたものである。
目次
[非表示] 1 古代のネオプラトニズム
2 ルネサンス期のネオプラトニズム
3 関連項目
4 日本語文献
5 外部リンク
古代のネオプラトニズム[編集]
「流出説」も参照
ネオプラトニズムの創始者はプロティノスとされる。プロティノスの思想はプラトン哲学(プラトニズム)を出発点としており、プラトンの正しい解釈として考えられたものであるが、実際に構築された哲学体系はプラトンのオリジナルのものとはかけ離れたものとなっている。
このプロティノスのネオプラトニズムはオーソドックスなものだとみなされていて、一者への「帰還」に神秘秘術を取り入れたイアンブリコスやプロクロスなどの後期ネオプラトニズムとは区別される。
プロティノスの時代には、ギリシア起源の思想に、当時の政治体制が一体化したオリエントからの思想が流入して、グノーシス主義が流行していたが、ネオプラトニズムもそうした当時の思想動向から大きな影響を受けている。また、逆にネオプラトニズムも神秘主義思想へ大きな影響を与えた。
ネオプラトニズムの思想の大きな特徴は、一者からの流出の観念である。「一者」の思想は容易に「一神教」と結びつき、ネオプラトニズムの思想は中世ヨーロッパのキリスト教思弁哲学の基盤のひとつとなった。
ルネサンス期においても、プラトンの思想とネオプラトニズムは区別されていなかった。
15世紀のフィレンツェでメディチ家を中心にプラトン研究が盛んになり、プラトンやプロティノスの著書がラテン語に翻訳された。美に対するプラトン的な愛(プラトニック・ラブ)によって人間は神の領域に近づくことができると考えられた。
ネオプラトニズムの思想はルネサンスの文芸・美術にも大きな影響を与えた。
関連項目[編集]
シャルトル学派
フィレンツェ公会議
プラトン・アカデミー
ルネサンス
宇宙霊魂
人文主義者 以下は代表的人物
マルシリオ・フィチーノ
ピコ・デラ・ミランドラ
アンジェロ・ポリツィアーノ
ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(Giovanni Pico della Mirandola、1463年2月24日 - 1494年11月17日)は、イタリア・ルネサンス期の哲学者である。「人間の尊厳」を主張したとされてきたが、近年では、ピーコの用いる「尊厳」の語には「序列」という意味もあり、今日でいう「尊厳」の意味はなかった、とも言われている。ともあれ、ピーコにとって人間とは、なんにでもなれる変幻自在のカメレオンのごときものであった。なお、苗字だけで呼称されるときはピーコである。
目次
[非表示] 1 生涯
2 著書
3 参考文献
4 関連項目
5 外部リンク
生涯[編集]
北イタリアの貴族の家に生まれる。ボローニャ大学で法律を学んだのち各地で研鑽を積み、フィレンツェへ行き、哲学者として高名なマルシリオ・フィチーノと接した。若くして才能を発揮し、プラトンをギリシャ語で、旧約聖書をヘブライ語で読んだ。博識で弁が立ち、メディチ家のプラトン・アカデミーの中心的な人物の1人になった。
人間は小さな宇宙であり、その中には元素から動植物、理性、神の似姿に至るまでが含まれると考え、人間が動物と異なるのは、自由意志によって何者にも(神のようにも獣のようにも)なる事ができる点だとして、「人間の尊厳」を主張した。1486年、ローマで哲学・神学の討論会を企画し、討論会のために書いた原稿が『人間の尊厳について』 (Oratio De Dignitate hominis) で、ピーコの主著である。ただしこの題名はピーコ自身の命名ではない。
この討論会では聖体変化などについての議論も予定しており、ローマ教皇インノケンティウス8世から異端の疑いをかけられ、討論会は中止。ピーコも逃亡後、捕えられてしまうが、メディチ家のロレンツォ・デ・メディチの努力により釈放され、フィレンツェに戻る。ジローラモ・サヴォナローラとも親交があった。31歳で死去。
フィチーノと同様、近年は異教的な神秘主義の側面が注目されている。自然を支配する業としての魔術を信じていたが、占星術については、人間の運命が定められているというのは人間の自由意志に反する、として反対するようになり、師フィチーノの説を批判した「反占星術論」を執筆している。また非ユダヤ人としては、はじめてカバラを極めたとされる。
著書[編集]
「人間の尊厳について」 植田敏郎訳、創元社、1950年
「人間の尊厳についての演説」、『ルネサンスの人間論 原典翻訳集』 佐藤三夫訳編、有信堂高文社、1984年1月。
『人間の尊厳について』 大出哲・安部包・伊藤博明訳、国文社〈アウロラ叢書〉、1985年11月。
参考文献[編集]
エティエンヌ・バリリエ 『蒼穹のかなたに ピコ・デッラ・ミランドラとルネサンスの物語』1-2、桂芳樹訳、岩波書店、2004年3月。 - 歴史小説の大作。
関連項目[編集]
ルネサンス
人文主義者
ピーコ・デッラ・ミランドラ賞
イタリア文化会館主催でイタリア語作品の翻訳に対して贈られる。これまでに作家の須賀敦子、ルネサンス美術史の岡田温司(京大教授)、『マキァヴェッリ全集』を編集した永井三明(同志社大名誉教授)らが受賞。(イタリア文化に関する著作に贈られるマルコ・ポーロ賞もある)
栗山千明。Chiaki Kuriyama.